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思い

きっかけ

2011年3月11日に起こった東日本大震災と、それに伴う福島第一原子力発電所の事故。テレビやラジオから流れてくる情報は、被災地から遠く離れた地に住むわたしにとって、どこか別の国で起こっていることのようにも思えました。

 

しかし、原子力発電所の事故はどう考えても危ない。「ただちに影響はありません」。…「ただちに」って、いつまで? 本当に、この国って国民を守ってくれるの?募る不信感。そして、後に、たくさんのお母さんが、子どもを守りたいのに、多くの情報が開示されずに悩み苦しみ 悲しんだことを知りました。子どもを初期被ばくさせてしまったことを、今でもずっと悔み、自分を責め続けているお母さんがいるのです。

 

わたしは、今のこの国の動きには、不安だらけです。

 

国が国民の声を聞いてくれないのなら、地方から変えていくしかない。地方をかえるには、市民の意識を変えるしかない。市民の意識を変えるには…。

 

わたしが、声をあげるしかない。こうしてわたしは、大きな決意をしました。

平和への思い

『世界の恒久平和は、人類共通の願望である。
 しかるに、米、ソ超核大国を中心とする核軍拡競争はますます激化し、世界の平和と安全に重大な脅威と危機をもたらしている。
 われわれは、世界唯一の核被爆国民として、この地球上に広島、長崎の惨禍を再び繰り返してはならないと強く訴える責務がある。
 よって、高松市は、平和憲法の精神にのっとり、「非核三原則」を将来ともに遵守するとともに、あらゆる国の、あらゆる核兵器の廃絶と軍備縮小を全世界に強く訴え、もって世界の恒久平和の実現を目指し、ここに高松市議会の総意により「非核平和都市」を宣言する。』
 

これは、1984年に高松市が提唱した非核平和都市宣言です。

「今はこの時とは状況が違う」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、世界の恒久平和の実現を目指すことに変わりはないのではないでしょうか?

高松空襲では1359名の尊い命が失われました。高松にも空襲があったことを知らない人が増えています。わたしは、この宣言を支持し、色褪せないように守っていきたいです。

わたしを変えた出来事

非核平和都市宣言

「孤独」のない街

みんなの居場所

わたしは、高松市が大好きです。

マリンライナーを降りるとふんわり漂ってくる潮の香りに、「あぁ、ふるさとっていいな」と思います。

日本一小さな県の、真ん中に位置する高松市。

お天気はよく、うどんが美味しい。大きな災害は少なくて、平和な街。

 

でも。

この街にも、孤独を抱えたひとがたくさんいます。

それは、行き場をなくしたこども。

それは、定職に就けない若者。

それは、ひとりで子育てをするお母さん。

それは、悩みを吐露できないお父さん。

それは、子どもが巣立ったあとの無力感。

それは、迷惑をかけたくないと思ってしまうお年寄り。

それは、あなたの隣にいる人かもしれない。

 

だれも「孤独」にさせない街、「ひとりぼっち」を作らない街。

いつでもどこかに「居場所」がある街。

わたしは、この大好きな高松市をそんな街にしたいのです。

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